2017年02月09日

インドネシアの煙害によって10万人が死亡した可能性

インドネシアでは毎年のように煙害が発生しているが、ハーバード大学とコロンビア大学の研究によると、2015年にはその有害物質によって10万人もの死者を出した可能性があるらしい。煙害の原因は、主にアブラヤシ開発などのための火入れ。無論、森林減少やCO2排出(火入れだけでドイツ全体の排出量に相当)も引き起こしている。現地政府も取り締まりを行っているが、調査官が捕らえられてしまったこともあるという。

パーム油は、スナック菓子やインスタント麺、チョコレート、アイスクリーム、ファーストフードや惣菜の揚げ油など、実に様々な加工食品などに利用されるが、一般消費者はそれらの消費を控えるくらいのことしかできない。各メーカーによる認証制度の利用などの取り組みに期待するしかない。

情報源:
100,000 may have died but there is still no justice over Indonesian air pollution

参考:
あぶない油の話〜パーム油のことを知るサイト〜 | - プランテーション・ウォッチ
パーム油ってなに? | 特定非営利活動法人 ボルネオ保全トラスト・ジャパン
2015年07月23日

「名作の中の地球環境史」石弘之

環境問題が描かれている文学作品を紹介して、その背景や関連する情報を解説している。環境問題は決して現代に始まったものではなく、歴史的に繰り返されているものが多いことがわかるし、その根本的な解決策を考えるのに役立つだろう。

「駱駝祥子」老舎
BC9〜8世紀、黄土高原の半分は森林に覆われていた。10世紀、山西省では大森林が残されていた。1世紀頃から乱伐の土壌浸食によって黄土高原は拡大した。秦に滅ぼされた楚では、始皇帝によって広大な森林が丸裸にされた(森と緑の中国史)。華北は漢の時期までは大森林だったが、武帝の時代に起こった製鉄によって大量の森林が失われた(時代の風音)。

「ブラン」イプセン
18世紀末に開発されたルブラン法によるソーダ生産は木灰を原料にしたため、北米、ロシア、スカンジナビアの森林破壊をもたらした。1861年に食塩を用いるソルベー法が開発されて生産が拡大したが、副産物として発生する塩酸によって工場付近に酸性雨を降らせた。

「白鯨」ハーマン・メルヴィル
捕鯨は11世紀にバスク人が始めた。15世紀にポルトガルやイギリスの沖合、16世紀半ばに北米大西洋岸に進出。16世紀末にオランダやイギリスがスピッツベルゲン諸島周辺でホッキョククジラを捕獲し、事実上絶滅した。17世紀半ばに北米東岸の沿岸捕鯨が始まり、18〜19世紀には大型の帆走船を母船にした米国式捕鯨が盛んになった。
19世紀半ばにペンシルベニア州で油田が発見され、1848年以降のカリフォルニア州のゴールドラッシュで乗組員が移動したため、捕鯨は衰退した。1864年にロープ付きの銛を用いるノルウェー式が開発されて、ナガスクジラ科が対象となり、20世紀初頭に鯨油の硬化技術によって石鹸やマーガリンの原料として需要が拡大した。

「レ・ミゼラブル」ヴィクトル・ユゴー
江戸時代のナタネ栽培の中心は大阪。ナタネ油の絞り粕は木綿の栽培に最適で、河内木綿として全国に売られた。

「大学或問」熊沢蕃山
熊沢蕃山の思想は、荻生徂徠、頼山陽、横井小楠、佐久間象山らに影響を与え、幕末には吉田松陰、勝海舟、西郷隆盛、橋本佐内らの背景にもなった。室田武は蕃山をエコロジーの父と位置付けた。
3回の森林消失期:
6世紀末〜9世紀半ば:水田稲作に伴う農地転換、寺院などの建造
16世紀末〜17世紀半ば:城建築ブーム
17世紀後半:燃材や堆肥などが利用されつくしたため、集落が共同で管理する入会地が始まった
第二次大戦〜戦後復興期
アカマツは縄文時代には瀬戸内海沿岸に限られていた。鉄や塩の生産のため、森林伐採が進んでいたため。鎌倉時代以降に全国に拡大し、江戸中期には人里周辺のほとんどが、明治以降は全国的にアカマツだらけになった。

「アク・アク」トール・ヘイエルダール
サツマイモはポリネシア人が南米から持ち帰り、ニワトリは南米に持ち込まれた。石器や釣り針も交換されていたという説が有力。太平洋には住居跡の残る無人島が十数島ある。ピトケアン島は、イギリス人船員が逃げ込む前に段々畑が作られていた。

「ロビン・フッドのゆかいな冒険」ハワード・パイル
イギリスはBC1700〜500年の青銅器時代に森林の開発が進み、BC800年代末の鉄器と馬を伴ったケルト族の到来によって開墾が加速した。1〜4世紀のローマ支配の間に人口は2倍になり、国土の77%を覆っていた森林は15%に減った。牧畜や狩猟が盛んになるとともに、13世紀にオオカミの根絶が命令され、15世紀にはイングランドから根絶された。オオカミがいなくなるとアカシカが増えて森林が再生しなくなり、牧場が広がることで森林が失われた。1066年にイギリスを征服したノルマン人のウィリアム王は、広大な森林を御猟林に指定し、ジョン王が対フランス戦争に負けたのを機に貴族が反発してマグナ・カルタを認めさせた。マグナ・カルタの条項のいくつかは森林と関係が深く、forest charter(森林勅許状)も王に署名させた。16世紀にフランスやオランダとの緊張状態から武器が輸入できなくなったため、ナラの森が生い茂っていた南部のサセックス地方に製鉄業が興され、森林が消えていった。
造船に必要な木材のために、ニューイングランド、カナダに頼り、ベリーズはマホガニーを求める業者によって建設され、ビルマも植民地にされた。北海道のミズナラも家具や樽材として輸出された。

「クリティアス」プラトン
人類が進出する前のギリシャは、84%が森林だった。BC6世紀、戦争が続いたために造船用木材の伐採が急増し、森林は壊滅した。

「街道をゆく7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち」司馬遼太郎
フランスでは、13世紀だけで開墾によって森林の3分の1を失った。
律令時代、鉄製の鋤・鍬は国衙や郡衙だけが所有した。中世の貴族は鉄の所有権を通して遠隔地にある荘園を管理した(この国のかたち5)。11世紀頃から鉄の生産量が増えて価格が下がり、個人が鉄製農具を持つことができるようになると、農民は新たに開墾した田畑に対して所有権を主張できるようになり、鉄器で武装した武士も誕生した。

「ギルガメシュ叙事詩」
メソポタミアでは、レバノンスギは灌漑用の運河や用水路の護岸のため、神殿などの梁材、船材、燃材としても使われた。
569年にランゴバルト族がイタリアに侵入したとき、河口の低湿地帯に逃げて住み着いたのがベネツィアの始まり。海底に打ち込むための木杭に樹脂が多く腐食しにくいレバノンスギが使われた。

名作の中の地球環境史名作の中の地球環境史
石 弘之 / 岩波書店 (2011-03-24)
タグ:環境史
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2014年09月22日

「捕食者なき世界」ウィリアム・ソウルゼンバーグ

生態系のトップに立つ捕食者がいなくなると、草食動物や下位の捕食者が増え過ぎて、生物の多様性が失われるという。このテーマに関する生態学の研究の歴史を丹念に追っているのも勉強になる。

チャールズ・エルトンは、1920年代にノルウェーの北側に位置するスピッツベルゲンで生態系の研究を行い、ニッチ、食物連鎖、ピラミッドの概念を編み出した。1960年にヘアストン、スミス、スロボトキンの3人(HSS)が、捕食者によって草食動物が植物を食べつくさないようにしているという「緑の世界」仮説を発表した。ロバート・ペインは、海岸の岩場から捕食者のヒトデを除去すると、ヒトデの捕食対象であるイガイが岩場を占領することを発見し、ヒトデのような影響力のある種をキーストーン種と呼んだ。

アメリカのオオカミ根絶の取り組みは、マサチューセッツ湾の植民地で1630年から1頭あたり1セントの報奨金を与えたことに始まり、1915年からは税金を投入して1930年代にほとんどの州で根絶された。

コヨーテが駆除された地域では、アライグマ、アカギツネ、カンガルーネズミなどが増え(中間捕食者の解放)、これらの動物に巣を荒らされた鳥が減少した。アフリカでは、ライオンやヒョウがいなくなった地域でヒヒが増加した。

オジロジカは広食性で多種多様な植物と菌類を食べ、多産のため2年で2倍に増える。シカの数が増えると、鳥類の種の数は減少する。

ノースカロライナ起きでは、大型のサメが乱獲された結果、その獲物になっていた小型のサメや映画桁違いに増加し、その食料であるハマグリやカキなどの貝が激減した。

しかし、オオカミなどの肉食動物を復活させることには、人々の根強い反発がある。これまで、危害を及ぼす動物を根絶する努力をしてきた歴史を考えれば、当然のことだろう。それならば、人間がその役割を果たせばいいという意見も出るだろうが、ハンターには生物多様性の維持は担えきれないと結論づけている。生態系の保全と人間の生活を両立させるためにどうすべきかを考えるにあたって、新たな視点を与えてくれた。

捕食者なき世界捕食者なき世界
ウィリアム ソウルゼンバーグ / 文藝春秋 (2014-05-09)
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2014年08月22日

「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」星川淳 幻冬舎新書

捕鯨反対のグリーンピースの立場(当時)にありながら、個人の立場から論争の決着を図ろうとする以下のような姿勢も示している。

・捕鯨反対側の「1頭たりとも殺させない」という頑固さが、日本を調査捕鯨の拡大や過激な捕鯨ナショナリズムに追いやってきた。
・南極海での調査捕鯨が沿岸捕鯨への希望を打ち砕いている。
・調査捕鯨をやめ、IWCの原住民生存捕鯨と整合性のある形で、捕鯨の伝統が根付いた地域に限定して国内の沿岸捕鯨を認めさせる方向をすすめる。
・沿岸捕鯨業者が要求している年間150頭は、沿岸の調査捕鯨で捕獲する年間120頭と大差ない。
・マグロをはじめ他の漁業問題では国際社会の模範ともいえる合理的かつフェアな交渉態度を示すことの多い水産省が、捕鯨問題ではまるで戦前のような国粋主義に凝り固まってしまうのはもったいない。

西洋の野生動物保護の思想とそれを感情論と捉える見方、捕鯨を日本の文化とする主張とナショナリズム、脂と肉というそもそもの捕鯨目的の違い、戦後の動物性蛋白質を支え、給食でも味わった世代の経験、IWCでの多数派工作合戦、制限のない調査捕鯨という抜け穴とそれに対する過激な妨害活動。すれ違いの歴史が重ねられたとはいえ、互いが対決姿勢や頑なな態度を続けると問題をこじらせるだけで、時間と税金を浪費し、生産物に対する国民の関心さえ失わせたという教訓になってしまっているのが皮肉だ。今年の国際裁判の判決で解決の方向に向かうのか、それとも態度を硬化させるのか。

捕鯨の対立の歴史と構図も概ね理解できたという意味で、本書は勉強になった。水産庁の頑なな態度に辟易する著者の気持ちも伝わってくるが、熱の入った状態で書いたと思われる部分も少なくないので、それが世間的にはよくない印象を与えてしまっているとしたら残念である。

突き取り式捕鯨は江戸時代初期に全盛を迎えた。磯のすぐそばまで来るザトウクジラとコククジラ、泳ぎが遅く死んでも沈まないセミクジラを主な対象とした。日本人が口にした肉類に占める鯨肉の割合は、1947〜48年には46%、1950年代も20%台が続き、鯨肉の消費量が最も多かった1962年には30%弱だった。

IWCには、1980年代の初めに独立間もない国々が、1990年代後半からはカリブ海、太平洋島しょ国、中米、アフリカ諸国が多く加入した。IWCの票買いにODAの水産無償援助(1994〜2005年に合計935億円)が使われ、IWCの年会費や加盟費も肩代わりしている事例も認められている。

捕鯨業界は、商業捕鯨モラトリアムが実現しようとしていた1974年に国際ピーアール社に委託して、マスコミの論説委員対策を行ったほか、著名人15人からなる捕鯨問題懇親会を組織した。

調査捕鯨は、調査計画書をIWC事務局に提出すれば実施でき、捕獲頭数の変更も可能。2005年には2倍に拡大する計画を発表した。IWCの科学委員会は、RMPにおいて日本の調査データは不要であると繰り返し明言してる。

商業捕鯨が行われた最後の年には1万3000トンの在庫があった。調査捕鯨が1994年から増産に入ると、在庫は1998年に底をついて増加に転じた。2000年以降、鯨類研究所は赤肉の値段を下げ始めた。2000年からニタリクジラ、2002年からイワシクジラの捕獲を開始したが値段は下がり続け、2002年には売れ残りが報じられるようになった。2006年にはナガスクジラを捕獲した。

鯨類については、水産庁が囲い込んですべての国際条約から例外扱いし、国内でも種の保存法や鳥獣保護法の対象から外している。ワシントン条約でも、日本はクジラ6種について態度を保留している。

シロナガスクジラは全世界で捕鯨対象になる前の16万〜24万頭から9000頭に、ザトウクジラは捕鯨前の15万頭から2万5000頭に減少した。改訂管理方式(RMP)は、推定資源量と過去の捕獲記録だけで捕獲枠を算出する。南極海のクロミンククジラについては年間2000頭という数字が得られているが、現在も見直し中。年間2000頭は、かつての商業捕鯨末期に採算割れギリギリとされた数字。

日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか
星川 淳 / 幻冬舎 (2007-03)
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2013年03月28日

「さとやま」鷲谷 いづみ

ジュニア新書なので、さらっと流すつもりで読み始めたが、とても充実した内容だった。水田が両生類やトンボ類に理想的な生息環境を与えていることや、洪水時の遊水池として機能することなど、日本人にとっての原風景ともいえる里山が自然環境との共生システムとして機能していたことがよく見えてくる。また、冬季も水田に水を張る「ふゆみずたんぼ」の取り組みによって水鳥が利用できるようになり、除草効果や施肥効果も得られるようになったという事例も興味深い。

日本学術会議との共同企画である「知の航海シリーズ」としてジュニア新書となったらしいが、読後感は岩波新書としてより多くの人に読んで欲しかったと思う気持ちが強かった。

・動物に食べられるのを防ぐ作用を持つアルカロイドやプリミンを含む植物がある。シカが増え過ぎている奥日光では、シカが食べないイケマが繁茂し、幼虫が食べるアサギマダラが乱舞する森や、サクラソウ属のクリンソウが増えている森も見られる。
・地下水が停滞する樹木が育ちにくい場所では、ヨシ原やスゲ原などの草原、スゲ類やミズゴケが主体の湿原が発達する。それよりも乾いた場所にはオギ原、さらに乾いた場所にはススキやササが発達する。
・水田のまわりの灌漑用のため池や水路、樹林や草原といった水と樹林の組み合わせは、両生類やトンボ類の理想的な生息地。日本列島には、61種類の両生類、200種近いトンボ類が生息している。近代になって、水田の中干しの時期が早まったことや、収穫後の乾田化によって全滅することが起きている。
・スウェーデンのロックストロームの研究チームが2009年にネイチャー誌に発表した結果によると、人為的な気候変動、生物多様性の損失、窒素循環の改変の3つはすでに「安全圏」から逸脱しており、逸脱の程度は生物多様性の損失が最も大きい。
・宮城県大崎市の蕪栗沼を治水のために掘削する計画が持ち上がったことをきっかけに、近隣の白鳥地区で耕作放棄されていた水田を遊水池とするために湿地に戻した。また、冬季の耕作水田に水を張る「ふゆみずたんぼ」によって水鳥が利用できるようになり、除草効果や施肥効果もあることがわかった。

さとやま――生物多様性と生態系模様 (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)さとやま――生物多様性と生態系模様 (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)
鷲谷 いづみ / 岩波書店 (2011-06-22)

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