2018年12月20日

『五感経営 産廃会社の娘、逆転を語る』石坂典子

この本を見つけたのは偶然だった。副題の「産廃会社の娘」という組み合わせに目を引き、「地域に愛されるリサイクル会社に生まれ変わった」の紹介文で関心を持ち、本を手に取って、20年ほど前に所沢で起きたダイオキシン問題で矢面に立たされた会社と知って鳥肌が立った。

著者は、ネイルサロンの開業資金を貯めるまでの腰掛のつもりで、父親が経営する石坂産業に入社した。最初は事務員だったが、仕事に熱意を抱いた働きぶりを評価されて、営業部隊の統括を任されるようになった。1999年に、所沢市で生産された農産物から高濃度のダイオキシンが検出されたとのニュースがテレビで流されたため、地元の野菜が売れなくなって、産廃会社に怒りが向けられた。2001年には、会社の産業廃棄物処理業の許可を取り消すことを求める行政訴訟を起こされた。ごみを捨てる時代を終わりにして、リサイクルする時代にしなければならないという父親の思いや、産廃処理に携わる職人たちのおかげで育ってきたとの自らの思いから、2002年に自らを社長にしてもらうことを直談判して就任した。

2002年、地域に必要とされる会社にするために、売り上げの7割を頼っていた焼却事業から撤退し、解体資材の減量化とリサイクル事業に注力することにした。2003年にISO14001やISO9001を取得。巨額の投資と引き換えにして、減量化・再資源化率95%を達成した。業界の平均は85%だったため、同業者の15%分の産廃も引き受けるようになった。2011年に日立建機と共同開発した電動式のショベルカーを導入したことによって、二酸化炭素の排出量を大幅に減らせるようになり、排出権クレジットを売却することができるようになった。2015年には、廃棄物を材料にした建設資材が公的機関の認定を受けて、全国で使えるようになり、減量化・再資源化率を100%に近づけることができるようになった(現在、ホームページには「98%を達成」とある)。

2008年には、屋内型プラントの内部を見てもらうために、見学用の通路を新設して、工場見学を始めた。見学者が増えて褒められることによって、社員も自発的、意欲的に仕事に取り組むように変わった。今は、年間1万人以上の見学者が訪れている。以前から行っていた近所の道路の清掃を広げて、くぬぎ山地区の雑木林の整備も始めた。この活動によって地元の評判がよくなり、2012年には日本生態系協会のハビタット評価認証制度(JHEP)でAAAランクの認証を取得した。森林を手入れして集めた枯葉を堆肥にしたものを用いた農業も始め、農産物を加工して販売する6次産業も展開した。森林には、子供たちのためのアスレチックパークや体験農園などをつくり、2014年に里山環境教育フィールド三富今昔村と名付けて一般開放した。ただし、森林保全にかかるコストは毎年数千万円の持ち出しで、6次産業も赤字。

著者は、今後のミッションのひとつとして、里山の保全・再生を単独で採算のとれる事業に変えるために、環境教育の事業化を考えている。すでに、旅行代理店と提携した体験型ツアーを企画しており、海外の機関と提携して環境教育プログラムの開発に着手している。これによって、産廃処理と里山保全の現場を持ち、環境教育に取り組む会社としてブランド化しようとしている。

ダイオキシン問題という逆境があったとはいえ、強い理念を持ち、その取り組みを次々に実現させていく実績は見事だ。その行動を背後でどっしりと支えたのであろう父親の姿も文面から伝わってくる。親子のドキュメンタリーとしても読める内容になっている。

石坂産業
三富今昔村

五感経営 産廃会社の娘、逆転を語る五感経営 産廃会社の娘、逆転を語る
石坂 典子 / 日経BP社 (2016-09-16)
タグ:CSR 廃棄物
小浜崇宏 | Comment(0) | その他 | このブログの読者になる
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